何を隠そう、私は「超」のつく運動音痴。高校時代の体育の成績は、10段階評価中「1」を頂いたことがあるほどの筋金入りです。このままではいけない!と、筆記試験を頑張ったおかげでなんとか「1」は脱出しましたが、運動自体はぜんっぜんダメな子でした。

当時は「相対評価」だったこともありますが、とにかく体力がない。筋力がない。持久力はちょびっと、な状態。動くとすぐに息切れする。立った状態で両腕を上げるのなんて、10秒くらいが限界。頑張って、歯を食いしばって走っても、運動会のかけっこは小1のころからビリを脱することはできません。あまりにも体幹がなさ過ぎて、自転車に乗れるようになったのは小学校高学年。まさに、「体幹? なにそれ、おいしーの?」な状態。

そんな中で、高校の薙刀の授業は唯一「面白い!」と感じ、無我夢中でやった結果、なんとクラス2位まで勝ち進んだことは、それ以前の「スポーツ」に対する認識を改めさせられました。その時の担当の先生が、「こうゆう人がスポーツをやると伸びるんだよね。」と言ってくださったことは、更なる自信に繋がり、「こんな私でも、できることってあるんだ!」と、その時、目の前に明るい光が差し込んだように思えたことは、今でも忘れられません。

体育科の学習指導要領には、体育科の目標として『心と体を一体として捉え、適切な運動の経験と健康・安全についての理解を通して、生涯にわたって運動に親しむ資質や能力の基礎を育てるとともに健康の保持増進と体力の向上を図り、楽しく明るい生活を営む態度を育てる』とあり、その時の薙刀の先生は、「まさにこれをこれを与えてくださったのか!」という思いです。「小・中・高ではぜんっぜんだったけど、今頃花開くのか~」と、花開く時期は本当に分かりません。

また、ヨガに出会ってから最初に手にした『ヨガ入門』(千能千恵美著)には、「たくさんやったことは上手になる」とかかれていたことを読み、この言葉に勇気を頂きました。「そっか。最初、どんなにできなくても、何回もやっていくうちに上手になるんだ!」
今思うと、単っ純だと我ながら思います。ですが、この単純さだけで毎日続け、気がつけば、ヨガをする前には「無理無理ー!」と思うようなことさえもできるようになっていました。

腕立てが1回もできなかった私が、両手を床について、腕の上に両足を乗せられる(「からす」や「ほたるのポーズ」)。プランクポジション(腕立て伏せのポーズ)から右手と左脚を上げて静止できる。太鼓橋のポーズでさえ体を持ち上げるのが一瞬しかできなかった私が、ブリッジ片脚あげができる。

ほかのヨガティーチャーの方からすると、「そんなのできて当たり前」と思われることかもしれません。でもこれは、ヨガに出会う前の私にとっては、「自分とは全く無関係の世界」と思っていたようなこと。チャレンジすることすら思いもしないものでした。体力や体幹、筋力がない私には、無理なく緩やかにこれらを付けてくれるヨガやピラティスが最適だったのです。これによるメンタルへの影響は語りつくせないほど。

「ヨガスゴイ。」徐々に徐々にじわーっと利いてくる。体力や筋力のなかった私には、まさに救世主。「マイナス」の状態から、練習し、試行錯誤し、自分の力にしていく。その課程は無駄ではなかったと、思っています。

スタートが一般的な体力のある方から見ると、思いっきり「マイナス」な状態だっただけに、「体幹のしっかりしていない方」「運動が苦手な方」「運動から久しく遠ざかっていらっしゃる方」などに、分かりやすく、丁寧にお伝えできる技術は磨けたように思えます。お医者様でも、「その病気をした医者は名医」というそうです。その言葉を励みに、一歩ずつ精進しています。もちろん、これからも研鑽を続け、「運動能力に長けた方」「体の感覚を研ぎ澄まされている方」にも更にご満足いただける技術もあわせて磨いていきます。

 

ヨガティーチャーの方も、様々な方がいらして、元新体操の選手の方や、元バレリーナの方など、「運動めっちゃ得意です」な方々もたくさんいらして、思わず惚れ惚れとしてしまいます。

そんな中で、元が「こんなに運動音痴の体力ない、筋力ない、ないない女」ができることは何か、と考えたとき、「体力のない方」「運動にあまりなれていない方」「初心者の方」「子育てなどで運動から離れて久しい方」などはもちろん「運動はしてきたけど自分の体にはあまり向き合ったことないな~」という方などに、できるだけわかりやすく、そして効果的にお伝えする道を開いていこう、と決意したのです。

それぞれには特性があり、「運動音痴」もその中の立派な一つの特性だと思っています。「運動音痴」にしか分からない悩み、「体力のない人」しか分からない辛さ、「運動不足な人」にしか分からない気持ち。「運動はしたけど自分の体を見つめてなかったな~」という状態からの脱却。こういったことを身をもって経験しているからこそ分かる何か。これは、私にとって他の何よりも強い武器だと思っています。

よくある刑事ドラマなどで、キャリア組みに対して現場の刑事さんが、「現場を見てくれ」などというシーンがあったりしますが、まさにそんな感じ。

某大病院に息子が通っていたとき、そのケアについてお医者様から様々な指示を出されましたが、「現場を見ていないから、そんなハードル高いこと言えるんだよねー。」などと、同じ病気を患っていたお子さんのお母様とお話したことがありますが、まさにそんな感じです。

「現場を見る」それはすなわちその人の立場に立って、見て、感じて、そして「できることから1歩ずつアプローチしていく。確かに、アカデミックな見解は必要です。一番効率のよい方法も。もちろんこういったことは日々の研鑽が必要。

でもそれは、あくまで「ゴールを提示している」ということに過ぎない。「今すぐに」できる必要はないのです。山を登るためには様々なルートがある。そのスタート地点も人によって様々。「ものすごくできない」を経験したからこそ見えているものがある。

「コンスタントに80点をとっている人が100点を取るよりも、頑張っても10点しか取れない人が50点を取るのは非常に難しい。」といわれています。また、「もともと優秀な東大生よりも、東大に落ちて、挫折を味わった早慶生の家庭教師のほうが分かりやすい。」などとも言われています。

次元は全く違うかもしれませんが、同じように「できない」からこその強みがある。「運動音痴だからダメ」とは限らないのです。非常に難しいかもしれません。苦しいかもしれません。「できない」なりにもがいて、試行錯誤して。「柔軟性だけで頑張ってて筋力も体幹もめちゃめちゃついてない」所から始まって、「ヨガティーチャーのレベルになる」までの道のりには様々な課題があります。でもそれがすべて力になっている。今はそう感じます。

毎日のプラクティス、素晴らしい先生方のご指導、日々の勉強、生徒さんからの学び、色々なものが今の自分を形作っている。
「元がめちゃめちゃ体力なくても、運動音痴でも、筋力なくても、ヨガを教えることはできる。」という一つのプロトタイプとして、お伝えできることがある。それが、今の私の財産となっています。

元の体は関係ない。その時の自分に与えられたものを、いかに利用するか。工夫して前に進むか。そちらのほうが大切だと、今なら思えます。

すべての人には「劣等生」はいない。本気になったとき、きっとそれが力になると信じて。
ありがとうございました。

 

 

 

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