先日、びっくりすることがありました。私のブログを読んでくださっていて、はっきりすっぱりとご意見を下さる貴重な方。その方のご意見に、ヨガって、「いちゃった人がやってる」と思う人もいる、ということ。

私の配慮が足りないせいですが、「専門用語」に引いてしまう、とも。具体的にいうと、ポーズの名称をサンスクリット語表記にしてしまったことで、「サリン事件を起こした団体が、形を変えて今もなおやっているようなこと」と重なるそうです。

これは私、「やってしまった!」と思いました。「専門用語はできるだけ省きに省きまくる。」「初めてそのジャンルを読んだ人にもできるだけわかりやすくする。」という、ブログの大っ切な大前提がぽろっと抜け落ちてしまっていた、と気がついたのです。

そりゃあ、「シールシャーサナ(三点倒立)」だの「シャバアーサナ(仰向けで寝るポーズ)」だのといっても、ヨガになじみのない方からすると、なんだか奇異な感じがするかもしれません。猛烈に反省です。

また、片岡鶴太郎さんのストイックすぎる生活が元での「ヨガ離婚」なども話題を呼びました。私が最初に習ったヨガの先生も「ヨガ離婚(?)」のような感じでしたし。ヨガって、それだけ「いっちゃった人」に思われても仕方ない面も、やっぱり孕んでいるのかもしれません。

ヨガは、確かに精神の修行をするうえでは、「最も素晴らしいものの一つ」といえるかと思います。もともとは心を意識につなぎとめるためのもの。それを「宗教」が利用したため、宗教と混同された、といわれています。

現在では、ヨガは広く一般に知れ渡っているため、そのような見方をしている方がいる、ということを、つい忘れてしまうことがあります。自分の認識の甘さを改めされられました。

 

むしろ、「ヨガの影の部分」というと、私にとっては、「宗教」や「いっちゃった人」という認識ではなく、どちらかというと、「ヨガ=ビジネス」という見方が強く、「お金を出してナンボの世界」のような気がしています。

ヨガティーチャーやピラティスのインストラクターなどになるための資格には様々なものがありますが、上を目指して本気でとろうと思ったら、それこそ100万円くらい軽く超えるのでは、という感じです。

それなら、理学療法士さんのセミナーなどにお金をかけたほうがいいのでは、と思ったりしています。実際に足を運ばなくでも、今は、ユーチューブもあるし、理学療法士さん用のセミナーのDVDやテキストがネットで買えたりします。

それらを頭の中に叩き込むほうが勉強になるのでは、と。同じ、お金をかけるのなら、ヨガビジネスを盛り上げるためではなく、生徒さんのためになること、自分の技術や確かな目を養うことに使っていきたいな、と私には思えます。

ある指導者養成コースを主催されている先生によると、「私も養成コースなんてやってるけど、とった後ほんとに採算取れるかは分からないのよねー。」などと仰っていたとか。一世を風靡(?)したDVDを監修された、有名な先生の言葉です。

「やっぱりなー。」と思わず納得してしまいます。ビジネスに踊らされるのではなく、確かな技術をつける方法はいくらでもあります。「他」と同じことをしているだけでは生き残れない。独自の魅力や強みを探求していくことが、必要なことではないかと。

「ヨガ自体」が悪いのではなく、「ヨガにまつわる甘い汁を吸っている行い」こそが悪。「本物」や「源流」を見失わず、本来の目的を全うしている分には、悪にはなり得ないのではないでしょうか。

「サリン事件」の後、IYC(インターナショナル・ヨガ・センター、荻窪に本店(?)があるヨガスタジオ)の生徒さんは増えたそうです。他のヨガスタジオが軒並み閉店され、それでもヨガをしたい生徒さんが門をたたいたとか。

「本物は強い」これに尽きるのではないでしょうか。なにが「悪」なのか。どうすることが「悪」なのか。指導者の目でも、受講者の目でも、そして空(第三者)から見た目でも、冷静に判断しなければいけません。

自分の主観だけでなく。相手の主観だけでなく。第三者の主観だけでなく。大きな流れの中で、どうあるべきなのか。紛う事なき己の道を追い求めて。

ありがとうございました。

 

 

 

 

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