先日、映画『日々是好日』を見てまいりました。お話は茶道のお稽古を始められた生徒さんの成長を、茶道を通して描いたもの。長年「お茶」から離れていた方が、この映画をご覧になって「もう一度お稽古始めたい」と言わしめた良作。

結婚後、茶道から遠く離れていた私に、母から「せっかくお免状持ってるんだから、教えたらいいのに~。」とことあるごとにすすめてもらい、単純な私はすっかりその気でこの映画を見に行きました。

結果。冒頭からうなだれるほどの惨敗を認める始末。資格があろうが、日々のお稽古をしっかりと行い、設い(しつらい= 構え作ること)を整える。お菓子の一つ、お茶はきひとつ、本日のテーマであるお軸(掛け軸)はもとよりお花の一つ一つにまで「心を入れる」行為の前に、「資格があるから~」などという甘い考えは瞬時に打ち消されてしまいました。

考えなくても分かりそうな簡単なこと。反省もかね、改めて身を引き締め、一からお稽古をしたいなー、と今は真摯に現状を受け入れております。

・資格の限界を感じたとき

10年ほど前、長男が小1の自分、「小1プロブレム」(小学校に入学したばかりの1年生が、1、集団行動がとれない 2、授業中に座っていられない 3、先生の話を聞かない、などと学校生活になじめない状態が続くこと。『コトバンク』より。)のクラスに在籍していました。

同じクラスでまさにこの状態のお子さんが4人。「このクラスだけに集まった」状態でした。全く授業のできない現状にもかかわらず、当時の規定では講師の先生を要請することもできない。そこまでの認定にはならなかったのです。

年配のベテランの担任の先生がお一人で奮闘されていても全く改善の余地はなく、度重なる保護者会での話し合いの結果、「有志のお母様方がローテーションでクラスのサポートに入る」ことに。その時のご意見の中に、「何の資格もないのに、できることなんてあるのかしら。」というものがありました。

その時感じたことは、「資格ではない」ということ。大学で教員免許を取得しても、そんなものは子どもたちには何も関係ない。ただ、「○○君のお母さん」としてしか映らない。

こわもての校長先生が出てくるまで、担任の先生でさえ全く無力の状態。大人の言うことは全くきかず、授業が成り立たない。そんな中、いくら資格があろうと、ただ「一保護者」に過ぎないものの言うことをきくはずなどないのです。

このときほど資格の無力さをかみ締めたことはありませんでした。

 

 

・学びと実践を同時並行するために必要なもの

昨今、「資格ジプシー」や「ノウハウコレクター」など、耳にすることがあります。気持ちは分かります。「この資格を取れば新たな扉が開けるかもしれない。」「こんなやり方をすればうまくいくかもしれない。」それが自信に繋がる場合もあるでしょう。

けれど、本当に大切なのは資格ではない。成功者のノウハウでもない。そのやり方はたまたまその方に合ったものだったに過ぎないのかもしれない。どんなに素晴らしい資格があろうと、どんなに優れたノウハウを持とうと、それがいかせる「器」でなくては意味がないのではないでしょうか。

「器」はあるとき急激に出来上がることも時にはあるでしょう。しかし、その「奇跡」を待ち望むことは得策ではない。日々自分の力で大きく育てるもの。本当のノウハウは、自分で切り開いていくもの。もちろん基本は大切です。運転免許のように、「なければできない」資格もあります。ただ、資格だけに、ノウハウだけに依存してはならない。

 

 

・「資格」や「ノウハウ」以上に磨きたいもの

いつぞやのニュースで、30年以上の間、無資格で教員として生徒を教え続けていた方について取り上げられていたことがありました。その方は、もちろん免職になられましたが、教え子の方々からは慕われていらしたとか。

教員として資格はなくてはならないもの。申請もれもあってはならないものではあります。でもその方には、それ以上のものを持っていらしたのだと、考えさせられました。

教えることの情熱を持ち続けるすべての方へ。幸多いことを願って。
ありがとうございました。

 

 

 

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